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困った事がありました。



私はキリスト教の教会で、ピアノをひいたり、教会学校の先生をしたりしています。

クリスマスやイースターなどの行事の時にはだから、いろいろ頼まれます。当日いきなり、「この歌ひいて!」とか、たまにある。……全然知らない曲を、初見でひかされた事がある。あらかじめ言っておいてくれ! 練習するから!

こないだも、いきなり楽譜渡されて、「コーラスするから、ハモり入れて歌って! わたしらメロディーしかわからないからメロディー歌うし。来週本番!」待て。知らない曲だってば。

本番では、メロディーを一緒懸命に歌う人たちの横で、アルト(主旋律の下)やディスカント(主旋律の上)の部分を、上がったり下がったりしながら歌いました。二部合唱じゃなく三部の楽譜だった。

歌詞を読むのと同時に音符の位置を探し、でもアルトとディスカントは違う場所なんだという事で、目線を上げ下げしていたら、えらい疲れた。

頼んでくる人はだいたい、「適当で良いから!」と言うが、適当にしようにも、まず、楽譜を読むところから始めないとどうにもならんだろう、全然知らない曲の場合。本番の5分前に渡された場合(マジにあった)、適当にしたくても、ひたすら必死にやるしかないんですよ! ああ、本番でいきなり、「違う曲にするからひいて」とか、「調を変えてひいて」とか言われた事あったな! なんの打ち合わせもなく!

バイエルで終わった人間をなめるな。ひいたさ。右手メロディー、左手和音でどうにかこうにか。


話がそれました。


言葉というのは、通じるように話さないと。

タイトルですが、これ、できている人って、案外少ないのではないかと思いました。

実は、何回もやり取りをして、それでも話が食い違う。という事が起こりました。


***


うちの教会には、幼稚園があります。

そこのクリスマス会で、何かお話をして欲しい、という依頼がありました。

毎年、牧師が、子供と保護者のかたに、聖書のメッセージをしています。

夜、園長さんからかかってきた電話では、

「子供向けのお話と、てあそび(手を使ったゲームのようなもの)をお願いします」

という事でした。

図書館のお話会などでよくある、童話などの語りと、手遊びなのかと思い、了承しました。一応、確認はしました。「お話と手遊びなんですね」と言うと、「そうです。子供が楽しめるお話と、ゲームみたいなのを」と言われました。

次の日曜日。教会に行って、驚きました。

「幼稚園のクリスマス、僕の代わりにあなたが、聖書のメッセージをすると聞きました。頑張ってね」

牧師に言われました。はあ!?


なぜそうなった!


慌てて園長に確認。しかし話が通じない。

私「メッセージをするのは牧師でしょう!?」

園長「ええ、今年は高校のクリスマスと重なるとかで、都合がつかないと。あなたが引き受けてくれてよかったです」

私「いや、私がするのは、子供が楽しむためのお話でしょう!?」

園長「もちろんです。よろしくお願いします」

私「では、メッセージはしなくて良いのですね?」

園長「いえ、子供が楽しめる、メッセージ性の強い、クリスマスのお話をお願いします」

私「クリスマスのお話、では、聖書のメッセージではないのですね? 今年のクリスマス会は、メッセージなしですか?」

園長「? だから、クリスマスのお話です」

私「?? メッセージとお話を二つするのですか?」

園長「??? 二つして下さるなら、それで。でも十分以内でお願いします」

私「メッセージ、お話、手遊びでは十分越えます。二つでないと。どれをして欲しいのでしょうか」

園長「じゃあ、手遊びとお話をお願いします」

私「聖書の話はないのですね? 教会関係のクリスマスでそれは、まずくありませんか」

園長「いえ、ですから、メッセージ性の強いクリスマスのお話をお願いします」


堂々巡りです。


この場合、『お話』というのは、ストーリーをさします。絵本や童話、民話などの、娯楽を目的とした物語りです。

一方、『メッセージ』は、聖書を中心に置いた、いわゆる説教や、たとえ話に相当します。

教会学校では、聖書の内容をわかりやすく伝えるため、メッセージをやさしい言葉で、理解しやすいよう、歌なども使って語ります。

しかしそれは、あくまでもメッセージであり、

お話会で、物語りを聞いて楽しむ場合とは違います。

仏教の説法を考えるとわかると思います。

お坊さんが、お釈迦さまの話をする。

大人に話すのと、子供に話すのとで、同じ言葉は使いません。子供には、子供がわかるような、やさしい言葉を使うはずです。

しかしそれは、手を抜いているのではなく。相手に理解できるよう、相手の持つ言葉を使おうとしているだけです。

話している内容は、大人用の話も、子供用の話も、基本的には同じです。

教会の場合も同じです。

『子供向けのメッセージ』と言うなら、聖書の話、という意味になりますが、

『メッセージ性の強いお話』と言った場合、

聖書の話ではなく、娯楽目的の童話や民話、その中に何か、教訓が一つか二つ入っていれば良い。

という意味になります。


このあとも、何度か確認を繰り返し、

やっと、園長が言っているのは、私に牧師の代わりにメッセージを頼みたい、

しかし子供相手なので、楽しめる内容にして欲しい、という事がわかりました。




……長かった。そこに至るまでが。




園長さん、何を思ったのか、プログラムの内容や、どんな努力をしてきたかを、一から順番に話し出すし。

歌やダンスで先生がたがやった努力じゃなく、『メッセージ』なのか、『お話』なのかを知りたいだけなんだけど、ひたすらしゃべりまくられた。いや、その努力は素晴らしいし、子供たちも頑張ってたと思うよ! でも、依頼されてる私が知りたいのは、『私は何をすれば良いのか』という一点なんだってば!

話をさえぎり、確認を繰り返しました。園長さんは、不満だったかもしれません。わかりきった事をなんで、何度もきいてくるのよ! みたいに思ったかも。

しかし、園長さんの使っている言葉は、

依頼をされる側の私にとっては、全く違う意味のものであり、

園長さんの目的や意図を確認しないと、話を組み立てることが、まずできない。

園長さんにはしかし、そのあたりがわからなかったようで、

時間かかりました。どうも、絵本のお話も、聖書のお話も、同じものという理解で話をされていたみたいです。


この二つ、聞き手には同じように聞こえるのかもしれませんが、

語る側からしたら、全く違うものです。

とりあえず、メッセージだということはわかったので、

聖書のどの箇所を語るのか、まず選び、

時代背景、使えそうな視覚教材など、資料を調べる事を始めます。

5分の話ですが、私にも知識がそんなにあるわけではない。

語る時には、まず調べて、その上で、小学生なり、幼稚園児なりにわかる言葉で語る作業を行います。

時間がかかるわりに、調べたことはすべて話せません。要領の悪いやり方ですが、

これが私のやり方です。というわけで、

さ~て、調べようかね。


***


自分の常識は全ての人の常識ではないのだと、

相手の常識がどのあたりにあるのかを、見極めることも、会話には必要なのだと、

思った一幕でした。

うん、しかし、プログラムの説明、ホントに長かった……。



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ゆずはらしの

Author:ゆずはらしの
「小説家になろう」にいくつか小説を上げています。

公民館で絵を教えています。水彩画。

紅茶、ハーブ、アロマなどが趣味です。でも手際はあまり良くない。お茶は淹れられるんだけどね。お茶はね!

思いだしたように記事を増やしてゆく予定。

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