2017 / 11
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授業につながらないので、少し時間があいた(……)。

良い機会なので、つらつらと、書いてみる事にする。

ラナンキュラスさんの活動報告で、ずっと、妹さんの職場で起きているいじめ問題を見てきた。本人からではなく、また聞きの状態、プラス情報が断片的なので、正確な状況がわかっているとは言えない。それでも見えてくるものがあったので、あまり力になれないかとも思ったが、少しアドバイスらしきものもした。

力になったのかどうか、わからないが。

まず、いじめを受けているのは妹さん……この場合、Aさんとしよう。彼女は孤立している。

働いている同じ現場のボス的存在、Bさんが、彼女を無視したからだ。同僚たちは全員、右にならえをして、Aさんを無視し始めた。

ではなぜ、無視が始まったのか。

原因は、Aさんが、Bさんの誘いに乗らなかったから。

その誘いとは何か。

就業時間中に、仕事を休んで、他の人々とコミュニケーションをとるべく、お茶を飲んでおしゃべりする事に加わる事。Aさんは、その誘いに乗らなかった。仕事の手を休めると、お客様に出す商品が間に合わない。それを知っていたので、断って仕事をした。

……この時点で、何か間違ってるだろう、それ。と言いたくなった。仕事の時間に仕事しないって、何だ。

ともあれこの結果、Aさんは「協調性がない人」とされ、無視が始まった。他の人がお茶をしている間、一人で働き続けている。

本来、大勢でやる仕事を、一人でやるのだ。無理が出る。お客様に出す、商品の陳列が間に合わない。どれだけ頑張っても、遅れてしまう。

しかし、無視をしている人々は、誰も彼女に手を貸さない。彼女が一人で働いているのを眺めながら、くつろいでいる。さらに、中傷が始まった。一人で別行動する人間は、許せないと言う風潮が、日本では強い。ボスに逆らう彼女が、「変な人間」だと言い合う内はまだ良いが、そのうち、その言葉はたやすく変化していった。「変な人間」→「どこかおかしな人間」→「だったら、何か悪い事してるにきまってるよね」

自分たちが仕事をしない事への、後ろめたさもあったのだろうか。噂は本人の知らない内に、他の部署にまで広まった。Aさんを無視する人がどんどん増えた。

それでもAさんは、自分を曲げず、一人で仕事をし続けている。休日には何をする余裕もなく、ばったり。だそうである。


* * *


この流れを見て思ったのは、「すべてが噂で決定されてゆく恐ろしさ」。

就業時間には仕事をする。この当たり前の事が実現できない。そうして、規則に従って働いていた人が、憶測で中傷され、立場を悪くしてゆく。

正確な情報が発表されていれば、そうした場所が一つでもあって、きちんと機能していれば、ふせげた事である。

同時に思いだした事。

通信教育で大学に通っている私は、レポート作成の為に多くの資料を読む。全然関係なさそうな本も、あえて読む。ちなみに前期の授業では、絵本、児童文学に加えて、インディアンの詩や哲学、教育関係の指導書、心理学関係の新書やら何やら。そう言えば、クレーマーに対応する本も読んだ。なぜそんな物読んだんだ私。

その中の、教育関係の本に、気になる事が書いてあった。いじめの根にあたるのではないか、という事例。

男の子のグループが遊んでいる時に、一人が、カエルを生き埋めにする遊びをしようと言いだした。

子どもたちは、命は大事にしなければという事は知っている。

しかし、言いだしたのがボス的な少年だったため、何人かが賛成した。

そうすると、残りの者も、なし崩しに賛成してしまい、カエルを生き埋めにする遊びが行われてしまった。

昭和五十年、1975年に出された本に載っていた事例である。現代のいじめ問題の、原型がここにある。(『「学び」の構造 著:佐伯 胖(さえき ゆたか))

仲間同士で遊んでいる時、誰かがカエルを殺そうと言いだす。何人かが賛成する。そうすると、反対が言い出しにくい空気が生まれる。

仲間の「和を乱し」たら、ケンカになるかもしれない、と思うからだ。

「みんな仲良くしなさい」と、大体どこでも教える。もしケンカをしたら、そうした教えにも反してしまう。

自分が悪く言われるのも、悪い立場になるのも嫌。となれば、賛成するか、黙って見ているかしかない。

結果、カエルは殺される。

この時、正しい事とは何か。仲間に賛成してカエルを殺す事か。

さからって、仲間外れにされても、やめろと言う事か。

人には、「たたかう」時も必要だ。著者はそう書いている。『何が本当に善いことなのか、何故それが一番良いのかについての問いかけ、より原理的なものへ、より根源的なものへの問いかけ、これを幼い時から身につけねばならない』。(『「学び」の構造 第三章四、開放性の道徳)

ナチスもヒトラーも、民主的に選挙で選ばれた。多数決によって。

日本人は忘れがちだが、多数決は絶対ではない。数の多いものが、いつも正しいとは限らない。

だからこそ、考えねばならないのだ。問いかけなければならないのだ。

「それは本当に、正しいのか」
「何が善いことなのか」
「なぜ、それが一番良いのか」

考えること。何が本当に善いことなのか、考え、考え続けること。

間違える時もある。傷つく事もある。

それでも考える事を、やめてはならない。考え、行動する。心と行動を一致させる。そうして、学び、考え、行動する事で、人は本当の意味で自由になる。成長する。

「おかしいのではないか……でも、黙っていよう。その方が安全だから」

こうして、良くないと思いながらも、自分の心を押さえつけ、目をそらす人は、自分自身をも裏切っている。不安は残り、目をそらす苦痛はにぶくどこまでも続き、決して自由になる事はない。

「たたかう」ことも、必要なのだ。ただし、その戦いは、恨みに根差したものであってはならない。

愛から生まれたものでなくてはならない。さもなければ、復讐やねたみがはびこり、被害を受けていたはずの人が、次の「加害者」になってしまう。


* * *


Aさんの場合、「誰が正しいか」が問題ではない。

「何をするのが正しいか」を考える。

彼女は、「規則通り、仕事の時間には仕事をする」事を選んだ。一人になっても。

なぜか。責任を果たすためだ。

誰に対しての責任か。……やって来るお客様に、商品をお出しする為の責任だ。

店に商品が並んでいない、なんて事が起こらないように、力をつくしたのだ。

彼女は、仲間に忠誠を尽くすよりも、お客様に対して責任を果たす事を選んだ。

非難できる者がいるだろうか。


* * *


後から聞いた話では、Aさんは、待遇が改善する兆しが見えてきたらしい。いじめの中心にいた人とも、話ができたそうである。

こうなると今度は、Aさんの心の問題が出てくる。今までの怒りから、目がくらんだりしないように。自分自身の魂の根を、憎しみから、自分で汚さないように。「誰が正しいのか」ではなく、「今、何をするのが一番正しい、善いことなのか」を、考えて欲しい。おそらく、今こそ、最も必要になる。それを考える事が。

自分を傷つけた人間にも、公正であること。

必要以上に優しくする必要はない。ただ、公正さは、絶対に必要だ。

私ばかり、貧乏くじじゃないか。

そう感じるかもしれないが。心を自由にする為には、必要だ。恨みや怒り、憎しみが心に渦巻いていると、それに囚われてしまう。自分で自分を縛ってしまう。それにより、さらに自分を傷つけてしまう事もある。

公正であろうと努力するなら、そうした事から心が自由になる。


* * *


当たり前の事が、当り前にできない状況と言うのは、どこででも起こりうる。

それをくぐり抜けようとしているAさんには、エールを贈りたい。同時に、祈りたい。

その魂が、自由であるように。

愛がいつでも、彼女の側にあるように。



……えらい長い文章になった(^_^;)。授業もう、完全に終わってるよコレ。もう少ししたらダウンロードしよ。

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ゆずはらしの

Author:ゆずはらしの
「小説家になろう」にいくつか小説を上げています。

公民館で絵を教えています。水彩画。

紅茶、ハーブ、アロマなどが趣味です。でも手際はあまり良くない。お茶は淹れられるんだけどね。お茶はね!

思いだしたように記事を増やしてゆく予定。

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